小俣町営大仏山スポーツセンターができる前から
小俣フットボールクラブはチームとして活動をしていた
Jリーグができるんじゃないかといった1991年
自分が当時所属していた津蹴球クラブの雰囲気が
一部の傲慢な選手のせいであまり楽しいものではなくなったこともあり
チームを退部したことがスタート
高校時代から伊勢志摩キッカーズ(ISK)にはお世話になっていたが
出身母体の高校からの選手が増え、とても入り込む隙間は無かった。
そこで自分たちで、自分たちが楽しめるチームを作るべく
中世古昌彦氏、坂本武司氏(クリーニング屋の若大将 人についてはこの人からの紹介がその後大きく影響する下村昭氏を中心にメンバー集めに奔走する
陸上選手の羽根正樹、久保元気の先輩である湯川健太、平山良、楠氏、大先輩の梅木氏等々の面々を集めそしてムッシュ村澤をアドバイザーにチームはスタートする
陸上選手、スキー選手、バレー選手、登山など様々な競技を経験した選手で発足した
小俣町内学校開放施設団体に初のサッカー競技のチーム登録を行い
そして明野小学校を借りてのチームがスタートする
ちなみに久保元気とは彼が小学校2年くらいからの付き合いなのである