2年目ムッシュ監督率いる度会郡代表は地元開催本選出場を掛けて予選に臨んだ。

予選のメンバーはぎりぎりのメンバーに近く、1日2試合をこなすのに不安であった。
最初の試合に勝てば本戦出場が決まる度会郡代表は、「打倒伊勢」に燃えるチームは志摩郡を粉砕し本戦出場を決める。

決勝は伊勢市との対戦
伊勢志摩キッカーズを中心としたチームは、選手を公募し粒揃いのチームであった。
度会郡代表は、恥ずかしいゲームができないという決意のもと、壮絶に戦うことになる。
すり減る体力を燃える闘志でカバーし戦ったものの、惨敗することになる。
試合終了後はピッチに11人以下だったはず。
私も慣れないディフェンスで奮闘したつもり・・・・

【雨の本大会】
本選は開催地 伊勢市朝熊グランドで雨の中行われた。
私にとって、県大会は高校時代在籍した「津蹴球倶楽部」の県リーグや天皇杯予選以来である

一回戦は津市代表との試合。
私はムッシュ監督から右サイドバックを言い渡される。予選は左サイドバック
雨中戦を得意とする私は、前半のみという解放感から雨にもたつく相手にそれほど振りきられることもなく、前半を終える。
度会郡は調子のあがらない津市に対して、中川幸也主将の活躍で完勝する。
県大会初勝利である。

二回戦
新進気鋭の員弁郡との対戦。
雨中戦でのサッカーの質の違いに翻弄され1-4(多分)で敗戦。
試合中荒れたわけではないが、退場者を二名出し、出場予定のない私が出場
人生初のボランチとして出場した。
GKには津村が奮戦、悔しい思いをさせてしまったろうなあ。

ここで敗退となり、度会代表は翌日は試合も無く
片付けだけでした。
伊勢代表の西井寛和くんと仲良くしたグランド整備したのがいい思い出になってます。
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by yusuhara | 2006-04-28 15:04 | サッカー(社会人全般) | Comments(0)

当時県サッカー協会主管の県民体育大会(各地域対抗)があり。
ムッシュの尽力で度会協会を立ち上げることなった。

「代表」・・・・・・
サッカー選手にとって、憧れの響きである。
「代表」とは無縁と思ってきたのだが、またぞろ欲望がもたげてきた。

ほとんどコネで代表の練習に参加させて貰い
さあ地区予選というところで、某政党支部への出向と衆議院選挙で参加不能に
体力を削がれたうえに、予選前日に胃痙攣を起こし予選に参加できなかった。

度会郡代表は予選敗退が決まったと連絡があった。

本選では伊勢代表が決勝まで進みガーデンメインで鈴鹿市と対戦するも惜敗する。
県協会からはチームを絶讃する声があった。
当時の監督は中村元昭氏

ライバル伊勢の活躍で次回南勢地区に本選出場枠が2つ与えられることになる。
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by yusuhara | 2006-04-28 14:30 | サッカー(社会人全般) | Comments(0)

1995年

【ユニフォーム新調】
一部リーグに昇格した我々は、ユニフォームを新調
94年フランスモデル/ホームに変更した
その前はエネーレ青 → トッパー 緑×黄 白×緑(殆ど使わず私は紛失)

これよりチームカラーは、青×白×赤 のトリコロールと定める。
アウェイは 白にトリコロールラインの昔の四中工モデルぽいのになる。

【一部開幕】
初戦南勢GでFCナンセイと開幕ナイターを迎えた。
監督にムッシュ部長を迎えた初戦、PKと混戦からゴールを私が決めた。
ゴールに喜び、ピッチを飛びだしたことを監督に叱られたことを思い出す・・・・
当時はルールも知らなかった(審判無資格時代)

【一部残留】
その後、伊勢志摩キッカーズ等、強豪に一蹴された我々は
一部に残るために後半戦をGK津村、DF坂本を中心に必死に戦う。
そんな中、身勝手でアンフェアな反則をくり返す私は、試合後ムッシュ監督に猛省を促される毎日であった。

とはいえ、今期も個人的にいい結果を残せた、私の"狂気"は萎んでいく・・・・

【カップ戦】
あっさり伊勢工業にやられたような記憶が・・・・

【反省】
サッカーの全国的なスタンダード(標準)を知らずに、テレビ等のイメージでサッカーをしていたことに気付かされます。
県協会やJFAからの通達や情報を得ていなかったからこそ無知であったのでしょう
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by yusuhara | 2006-04-28 14:25 | サッカー(社会人全般) | Comments(0)

1994年アメリカワールドカップの年

創設メンバーのウイング氏が某高校の事務職員であることを利用し
練習試合を組むなど調整にも余念のなかったこの年は大変だった。

【猛暑】
信じられない猛暑の中サッカーをしていた。
勝利に異常なまでの執念を燃やす私でさえ
「試合終了まで生きていられるのだろうか」という試合が続く。

極めて真面目なメンバーの多い、我がチームは"暑さ"に屈することなく
勝利を重ねてブロック制になったリーグを勝ち抜く
昇格決定戦をホーム大仏山公園で迎えた。
自らのゴール(だと思うけど)劇的に勝利した我々は一部リーグに昇格することになった。
(当時は飲み会もしなかった これもまた今では信じられない)

※記憶は曖昧なので違うシーズンかも
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by yusuhara | 2006-04-28 14:13 | サッカー(社会人全般) | Comments(0)

【伊勢協会加盟】
1993年(Jリーグ元年)
伊勢で始めて行われる社会人リーグに加盟することに
「地域を根ざしたチーム」ということ触れ込みで参加。
当時のメンバーには伊勢市少年部のお○い氏もいた。
(この当時のお○い氏も"狂気の時代"であったと思う)

2部リーグからスタートし、
T-CORPS(五十鈴OB)、などに思わぬ連敗スタート
公式戦初勝利は当時優勝候補の音羽パールを3-0で下したものであった。
感涙に咽んでいた記憶があります(やはり狂気)

最終優勝争い近くまで食い込もうかという勢いもあったか?と思わせぶりを発揮するものの
インデュランス(スゲー怖かった)が優勝。
小俣は4位(多分8チーム中)だった。

当時よりチーム強化に走ったため、経験者をかっさらってきては試合に出したため
非難を浴びることになるが、馬耳東風で聞く耳をたてて無かったと思う。
(これも狂気)
これが、エスカレートしたのが、カップ戦の伊勢市長杯である。

【疑惑(?)の初タイトル 伊勢市長杯】
楽勝と思われた宇治山田商に苦戦し(いまなら信じられないだろうけど)PK勝ち
助っ人をたくさん使ったその後の試合には完勝
決勝も当時最強の伊勢志摩キッカーズに延長戦の末勝利、初タイトルとなった。

思えば「小さい野望」、「小さなコンプレックス」のために、現役大学生を「助っ人」として多用したことで、チームは存続不能寸前に追い込まれることになる。

とりあえず初タイトルをとったことで、少し”狂気度”が下がったので、
創設当時から支えてくれたメンバーにお詫びしつつ、
「余程のことがないかぎり、助っ人を使わない」ということになっていった。
(つか、まだ使う気?)
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by yusuhara | 2006-04-28 14:06 | サッカー(社会人全般) | Comments(0)

小俣フットボールクラブとは

【設立】
1991年
小俣中学校時代、サッカー部がなく悔しい思いをしていた同級生が集まり、小俣町を活動拠点として念願であった「サッカークラブ」を創設した。

当時は明野小学校を借りてボールを蹴って遊ぶことから始めた。
初の対外試合は、当時試合が無くなったヒマしていた伊勢フットボールクラブの面々が明野小学校にやってきて試合を申し込まれた(本当に草試合)
やたら気合の入っていた私は、地域の名門相手に1-1の同点に狂喜乱舞したものだった。
(相手は遊び半分だったろうけど)

このころの私は少年サッカーのコーチを始める1995年までは、
勝利に対する執拗な執念と、怪我を与えることも辞さぬハードプレイ
「自らのチーム」をアピールするためだけにサッカーをしていたと思う。

今考えると意味不明だけど、これまでに人生で燃えることの無かったものを全てぶつけていたような気がしています。
巻き込んだ人ごめんなさい・・・

いわば”ユスハラ狂気の時代”である。
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by yusuhara | 2006-04-28 13:48 | サッカー(社会人全般) | Comments(0)

少年団創設よりコーチとして、持ち上がり方式でコーチをしていました。

◆2期生(2年間)のコーチを担当していました。
一学年38人は本当にしんどかったですね。

2期生も今は21歳くらいになっているでしょうか。
夏休みなどに奥林くん(東京在住)がコーチしに来ていると思います。
サッカー続けなかった子供達はいまどうしているのでしょうか・・・・

◆5期生(3年間)
なんといっても、大川コーチ、柴田コーチ(GK)でしょう。
一気に少人数になり一人一人とじっくり向きあった学年でありました。

◆8期生くらいからは担当が細分化されたので、各学年をまんべんなく見ていたと思います。

【最近は】
結婚を機に津市に移り住んだのと、会社の都合で土曜日が仕事になっていまは行けていません。
でも今はいいコーチが増えたので、素晴らしいチームなったと思っています。
協会にも属したので試合が増え、コーチや保護者の皆さんの負担もそれなりに増えたことでしょう。
そんな中十分に手伝えない、もどかしさがあります。
HP管理人として、帯同審判員としてまたお手伝いしていこうと思っています。
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by yusuhara | 2006-04-28 13:35 | サッカー(少年団) | Comments(0)

【はじまり】
少年団HPについてですが、いつ始めたのかは覚えてないです(^^;)

前団長時代に自分のホームページに写真を載せるくらいから始めました。
確か、市村、渡辺、中村コーチが中学生くらいの時ですね。
当時少年団には、現在の高校3年生がいました。
いつのまにか、独立させて作成しています。

【HP運営の費用】
ホームページにはお金が掛かると思っているかたもいらっしゃると思います。
御存知の方はいらっしゃると思いますが
このホームページの"無料"です。
無料サービスの場所に掲載しています。

【広告】
だから、ポップアップする広告がでてくるのです。
年間数千円払うと広告が表示されなくなるのです。

ちなみに横長の広告は、自分の趣味で貼り付けています。
ソフトウェア代等が捻出できればと付けています。
通販等、お買物の際は広告をクリックしていただけますと助かります
m(_ _)m
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by yusuhara | 2006-04-28 13:14 | ホームページ運営 | Comments(0)

18年度になって

本来ならば2年任期であります。
しかし、任期2年目で三重県サッカー協会が社団法人になりました。
定款では役員の任期は2年(もちろん原則なので交代は有りえる)になったことと
今期担当する鳥羽市サッカー協会のご厚意もあり、あと1年理事を務めさせていただくことになりました。

さて、今年の役割はいままでとほぼ変わりありません。
若いので実行部隊的な役割でしょうか

●ちなみに昨年度の細かい役割分担について

・総会の議事録作成
激しい議論に速記者のように書かなくてはならず大変

・天皇杯運営
チケットもぎり班 入場者数数え(なぜかカウンタを持っている)

・三重県サッカー協会 地区協会HPの更新
U-13支部対抗戦の写真撮影含む

●18年度より
・県協会のHP更新の補助的なお手伝いをさせていただきます。
・三重県サッカー協会の要覧作成委員会でお手伝いをさせていただきます。
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by yusuhara | 2006-04-28 12:49 | サッカー協会(三重県) | Comments(0)

地区代表の仕事をまとめてみると

・県協会の取組、行事、日本サッカー協会の通達などを報告
・地区協会が主催する「U-13支部対抗サッカー大会」の運営
・各協会の要望事項や地域の活動を報告
・県協会行事活動(総会等、要覧作成等委員会活動
・各種団体行事に出席(例 アテネ五輪壮行会(上野市)、県スポーツの集い)
・その他 相談窓口等

ちなみに昨年度17年度は、松尾会長の葬儀等があり、結構忙しかったですね。
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by yusuhara | 2006-04-28 12:00 | サッカー協会(三重県) | Comments(0)